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714 丸亀

2007年11月に四国の高松を訪れた思い出。

5時前に起きて
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JRの大阪天満宮05:50~05:52北新地着,徒歩7分で大阪駅
大阪発快速長浜行06:02~06:05新大阪着 乗り継ぎ20分
新大阪発06:25~07:16岡山着 ひかりRailStar445号 博多行
岡山発07:23~08:04丸亀着 特急しおかぜ1号

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初めての鉄道による四国乗り入れ。橋を通過中に眺める瀬戸内海の風景を楽しめるので,もう少しゆっくり走って欲しかった。

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パッとしない丸亀駅に到着。

丸亀に到着して,ここからいにしえの金毘羅詣と洒落込んで歩きたいところですが,時間短縮と途中に讃岐うどん巡りをしたいので駅前でレンタサイクルを借りる。
普通車は1日200円,電動車で1日300円。料金が高い電動サイクルしかなかった。
電動サイクルは初めて,電動パワーはすごい。

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早速,丸亀駅の周辺の事前に調べた古い街並みが残る扇町1・錦町2への散策に出発する。
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扇町1・錦町2の街並みは,時代から置き去りにされ,終わっています。
でも,この寂しさが魅力なので訪れたのです。

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次に,江戸の頃,金毘羅船でにぎわった丸亀の旧港へ。


見渡せば金毘羅船も 詣でる人も 無かりけり 丸亀港の秋の朝

江戸の賑わいを感じる面影は太助灯籠しかありません。

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太助灯籠は、今も残る船着き場「新堀湛甫(しんぼりたんぽ)」に、江戸在住の人々(千人講)が浄財を出し合って天保9年(1838年)に完成。
台座には「江戸講中」、灯籠の側面には寄進者や世話人ら1,357人の名前が刻まれている。
寄進者の中で、最高額の80両を寄付した「塩原太助」の名にちなみ、「太助灯籠」と呼ばれるようになったといわれています。

太助灯籠は,旧金毘羅五街道・丸亀街道の出発点にあたり、琴平の高灯籠までの 150丁(約12km)の道のりを参拝客はこの太助灯籠を目印に丸亀港に入港した。

特に港の前に架かる橋は,ちょっと残念な景色。

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旧金毘羅街道にポツポツ残る灯篭。

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訪れなかった石垣が約60メートルもあり日本一の高さを誇る丸亀城。

続く。次回は丸亀市猪熊弦一郎現代美術館。

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by million-lion | 2010-10-31 17:23 | 7 西の旅・東の旅

429 都会に棲む昆虫

街を散策中に色々なものに出会う。
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先日京都で,少し大きな蜂が花に,と思ったが違う。

蜂ではない。
見たこともない姿で花の蜜を吸っている。
まるで伊勢海老が飛んでいるような体型。

まず,写真を撮っておいて,帰ったらグーグルで調べよう。

しかし,蛾?蜂?どう検索する。

イメージは,伊勢海老のような昆虫ですが。

“伊勢海老のような昆虫”で正解。見つかりました。

スズメガ科のホウジャクというようです。

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ついでに昨年,以前の事務所で見た春なのに冬服を着た蛾。
“冬服を着た蛾”で調べても出ないので,ネットの昆虫図鑑のガで調べる。

マイマイガという害虫のようでした。


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by million-lion | 2010-10-27 20:57 | 4 庭園・花鳥風月

318 京の黒

先日,TV番組の「秘密のケンミンショー」で,サバ煮が関東などでは味噌煮が一般的だという。
この番組ではいつもながら地方性の違いに驚かされて面白い。
紹介されたものを時々,試しに食べてみることもあり,地元で長く支持されたものは,確かにうまいものが多い。

関西の一膳飯屋には必ずある定番のサバ煮はもちろん醤油煮で,味噌煮を見ることはない。
味噌煮は缶詰で見つけて食べたことはあるが,関東人がサバの醤油煮を知らないことが以外だった。

ちょうど,最近食べた京都のサバ煮を紹介します。
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1件目は烏丸御池の両川(りょうせん)のサバ煮定食で,750円。
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2件目は上賀茂神社横の今井食堂のサバ煮定食で,680円。

2件ともサバ煮の有名店で,ともに3日間も煮込んでいる。

真っ黒です。中も真っ黒です。

※念のために一般的な関西のサバ煮はこんなに黒くありません。


ついでに京の黒の文化を案内します。
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京都駅近くの新福菜館本店の「中華そば(並)」で,650円。画像のものは「もやし入りネギ多め」です。

真っ黒のスープで見た目は異様なラーメンです。

始めてみたときはびっくりしました。
まあまあ好きなラーメンです。
汁は意外と辛くなく,あっさりしているのでいつも飲みきっています。



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次は祇園の原了郭の「黒七味」どす。10g367円です。
赤穂義士四十七士の一人である原惣右衛門元辰の一子・原儀左衛門道喜が、「了郭」と号し祇園の地に開業したことに始まり。

すごく風味があるので,うどんに一振りすると,抜群においしくなりまっせ。



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最後は,楽茶碗の黒です。
利休好みの黒です。

土産用でなら5000円~楽長次郎の作なら?

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by million-lion | 2010-10-25 19:56 | 3 食・店・酒

515 黄檗山萬福寺

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京都府宇治市にある黄檗宗の大本山,黄檗山萬福寺は,寛文元(1661)年の建立で,開祖は中国・明出身の僧・隠元、長崎からの熱心な招聘を受けて日本に渡ってきた。

仏教各派の中では最も遅い伝来で,将軍家綱に謁見を許され宇治のこの地に寺領を与えられた。

中国では明の時代が終わろうとし,弟子の僧と画家,彫刻家,石工,仕立屋などの多くの職人や技術者を伴っていたので,禅の教えだけでなく,美術,書画,風習,流行など文化全体にわたって影響を与え,京・大阪に黄檗サロンが生まれ,伊藤若冲もその一員だった。

建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国の明の様式になっている。

総門に第一義という額がかかり,屋根の一番上には左右にある二体は,想像上の動物で摩伽羅である。魚類のようであるが足で体を支えている。
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天王堂。主要な建築の木材は当時では珍しいチーク材で中国から持ってきている。
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本堂にあたる大雄宝殿は,萬福寺の最大の建造物で,石組基壇の上に立てられている。
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一番後ろの法堂。お茶会の準備をしていました。
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三門と大雄宝殿の間にある天王殿に安置されている布袋。布袋は九世紀の高僧で弥勒菩薩の化身とされている。
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大雄宝殿の内陣。
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法堂のすこしカジュアルな内陣。

萬福寺には鉄眼版一切経版木(1681年)があり,明の版を低本にして作られたので書体を明朝体と呼ぶようになった。その明朝体ルーツの版木が現役で今も使われているそうです。

なおインゲン豆,レンコン,スイカ,竹の子の孟宗竹などを日本に持ってきたのは,この隠元である。
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石の玉?
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なぜか背もたれに葵の紋と十字架の王冠デサインが彫られているイス。
でもサイドは木鼻の象の風のデザイン。いつの時代のものでしょうか。
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床の意匠は禅宗様式の特徴である平瓦の四半敷。
創建当初のものでしょうか,だいぶ色が薄くなって味がある。
この四半敷は,学生の頃,日本建築史の先生が,禅宗以外で使うのは邪道と言っていた。
寺を訪れて床が四半敷であれば,禅宗のてらと思ってよいと教わった。
でも京都,奈良の禅宗以外の有名な大寺院でも使われている。
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食事の一部を鳥たちへの施しを置く石台。
宗派によっては,屋根に投げるところもある。
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僧たちが修行中です。
叩いているのは,魚鼓とも呼ばれます。日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をした法器です。すごい勢いで叩いていました。
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雲版(うんばん)は青銅製で朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。後から修行の撮影は慎んでいただきたいと言われました。申し訳ございませんでした。
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高欄の意匠は卍くずし。

2007年10月に訪問した記録です。

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by million-lion | 2010-10-21 22:55 | 5 古典建築・現代建築

628.6 山の辺の道 石上神宮

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桜井からスタートしてここで11.5kmほど,ときは4時55分。

最後の目的地,石上神宮まであと2.5kmの道のり。

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だいぶ日が暮れてきました。5時半くらいにはたどり着くかな?

門が開いていますように神様お願いします。

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夕方は一番好きな時間でこの風景をゆっくり満喫したいのですが,石上神宮の絵が欲しいので残念ですが先を急ぐ。
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暗い布留の森や峠をいくつか抜ける。
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少し暗くなっているが石上神宮に到着しました。

神宮を名乗るのは天皇や皇室祖先神を祭神とする規模の大きな神社で,『日本書紀』に記された神宮は,伊勢神宮と石上神宮だけであることから日本最古設立の神宮です。

古代の豪族で軍事氏族の物部氏が祭祀し,ヤマト政権の武器庫として役割も果たしてきたと考えられている。

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暗くなって門が半分閉まっていたが勝手に入り,明かりの灯る幽玄な光景が味わえました。
拝殿は入母屋造の檜皮葺きで鎌倉時代の建立で国宝。

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摂社出雲建雄神社拝殿は,天理市杣之内町にあった廃寺の内山永久寺から1914年に移築したもので正安2年(1300年)頃の建立。
建物の中央部分を土間の通路とした「割拝殿」と呼ばれる形式でこちらも国宝。
※今回の絵は暗すぎてわかりにくいので,この絵は前回のものです。

それと国宝がもうひとつ,禁足地の神庫に収められている七支刀がある。
その七支刀は,六叉の鉾(ろくさのほこ)として伝えられてきた鉄剣で,『日本書紀』には七枝刀との記述し,4世紀に百済王から倭王へと贈られたものと解釈されている。
刀身の両側から枝が3本ずつ互い違いに出ているため、実用的な武器としてではなく祭祀的な象徴として用いられたと考えられる。

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山の辺の道は桜井の海柘榴市(つばいち)から始まり,この石上神宮が中間で,本来は奈良まで繋がっていた。

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石上神宮を過ぎて,天理の街。陽が落ちた暗い景色に2本の高い煙突が印象的なので1枚。

帰路の途中,天理教の教会本部に大勢のハッピ姿の信者が集まっている。
老いも若きも,男女とも,天理教の人々は信仰に熱心です。

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そんなに歓迎してもらうと「照れちゃう」。

天理の商店街は,日曜日なのに,まだ6時なのに,シャッターが閉まっている。
奈良の店は夜が早いと聞いていたが,歩いているのはハッピ姿の信者だけ。

以上で山の辺の道は終わりだす。
ちなみに撮影した枚数は554枚でした。

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by million-lion | 2010-10-19 21:47 | 6 パッサージュ

628.5 山の辺の道 環濠集落

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山の辺の道に萱生町環濠と竹乃内町環濠がある。

環濠集落(かんごうしゅうらく)とは,周囲に堀をめぐらせた集落のことで,水稲農耕とともに大陸からもたらされた新しい集落の境界施設と考えられる。
もともとは灌漑のためのもので,中世に度重なる戦火にまみれ,環濠が外敵からの防禦施設との機能も備えていったようです。

奈良に多くの環濠集落が残っています。
環濠都市で寺内町の今井環濠(橿原市今井町)と稗田の環濠集落(大和高田市稗田町)が有名で

他にも,若槻環濠(大和高田市若槻町),神楽環濠(大和高田市神楽),有井環濠(大和高田市有井),池尻環濠(大和高田市池尻),藤森環濠(大和高田市藤森町),松塚環濠(大和高田市松塚町),土庫環濠(大和高田市土庫町),南郷環濠(広陵町南郷)古寺環濠(広陵町古寺),長楽環濠(河合町長楽),曲川環濠(橿原市曲川町),膳夫環濠(橿原市膳夫町),味間環濠(田原本町味間),高安環濠(奈良県斑鳩町)などが現存している。

環濠に鬼門の欠け,迷路のような狭い道など面白い風景に出会います。

環濠都市では大阪では堺,平野が有名です。

寺内町は,室町時代に浄土真宗などの仏教寺院,道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことで,濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち,信者,商工業者などが集住した。大阪には久宝寺,富田林などがある。
門前町との違いは,門前町は商業地である。

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by million-lion | 2010-10-18 18:01 | 6 パッサージュ

628.4 山の辺の道 大和棟民家

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奈良は古い文化の土地柄だけに,民家にも色々と固有の特徴が見られ,「囲い造り」と呼ばれる閉鎖的な屋敷構えで,「高塀造り」と言われる切妻造りの特異な家作りである。農村というより中世の不安な世相に対応する都市国家的な要素を持っていた。

集落自体は「垣内(かいと)」と言われる集落の形態で周囲を環濠で囲ったもの,土塀や竹やぶで集落を隠蔽したものも多い。

環濠集落については次回に案内します。

「高塀造り」は,東京の学者によって「大和棟造り」ともいわれ,この原型は大和か河内のいずれかわからない。
ちなみに奈良のものは,高塀の棟の頂点に留蓋瓦として,瓦製の鳩が一羽または一対置かれ郷土的風景になっている。

本来は上層農家であったが幕末以来に綿作,菜種油などの農家の経済向上で次第に一般化された。

草葺の主屋(居住部)と瓦葺きの釜屋(土間部分)が合体した造りで,その境に白漆喰で防火壁を高く聳えている。

草屋根部分と区切るこの鋭角な高塀と釜屋の落棟や下屋庇の瓦屋根など,緩急さまざまな屋根勾配の組み合わせ,草屋根・瓦屋根・白漆喰の高塀がもつ,材質感や色彩が織りなす構成は,日本民家の中で最も優れた造形と思う。

この山の辺の道でも数件見られ,朽ちているもの。
建て替えられているものもあり勝手な思いであるが残念。

最初の民家は,6年前発見ときに狭い谷にひっそりとした佇まいに驚き,その後思い出していた。
今回も以前の姿を見られると楽しみにしていたが,全国共通入母屋農家になっていたのでがっかりした。

地方の特徴のある民家は全国共通入母屋農家よりその風土の伝統民家造りで建て替えることを願う。

※あるときから白州次郎+正子の武相荘のように,奈良で「大和棟造り」に暮らす芸術家としての日々を妄想していた。



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by million-lion | 2010-10-17 23:54 | 6 パッサージュ

628.3 山の辺の道 柿本人麻呂

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ここは穴師の里,広々としてのどかな気持ちのよい風景です。
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大阪市内の生まれですが,近くに田んぼがあったので懐かしい実りの秋景色です。

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万葉の三十六歌仙の一人である柿本人麻呂は歌を知らなくても名前を知っている。
生涯については謎ですが,持統・文武両天皇に仕えた宮廷歌人,あるいはそれに類した歌人集団のリーダー的な存在として,序詞・枕詞を巧みに使い,長歌の形式を完成するとともに,短歌においても抒情詩人として高い完成度を持つ歌を詠み,万葉歌人中の最高の歌聖と称えられている。
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人麻呂の「巻向万葉歌群」と言われるものがあり,「巻向」というのは地名で,ここ穴師を中心とする一帯と考えられます。
若いころ穴師の里に住んでいたとか,藤原京からこの地に通ってきていたとか,と言われる。

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横の森は景行天皇陵

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by million-lion | 2010-10-16 19:46 | 6 パッサージュ

628.2 山の辺の道 ヤマトタケル

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古事記から
倭建命(ヤマトタケルノミコト)が東征の帰路,尾張で草薙の剣(熱田神宮にある三種の神器)を置いて伊吹山に向かうが,伊吹山の神を侮ったことからひどく衰弱し,能煩野に到り着いた時,故郷を偲び詠んだ。
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倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるわし

まほろば:もっともすぐれた国。
たたなづく:畳み重なったようにくっついている。
青垣:国の周囲をめぐっている青々として垣のような山々の内に篭っている。
その後2首を詠むと容態がにわかに悪化。さらに1首詠ったところで息絶え,魂は白鳥となって飛び去った。

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ここからの景色を心に浮かべたのでしょうか。

緩やかにカーブを描き眺望のいい場所です。

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道を下ると,上から望めた車谷の集落に入る。

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地蔵堂とおかげ灯篭。

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視野が広がる道は左右に大きくカーブしながら集落をゆっくりと下ります。

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車谷の集落が過ぎ,道案内にしたがって狭い民家の間を貫ける。

時々振り帰ると三輪山。


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by million-lion | 2010-10-15 20:17 | 6 パッサージュ

628.1 玄賓庵から古代の軸線,元伊勢の桧原神社  

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桜井の駅から4.2kmにある玄賓庵は,平安時代に玄賓僧都が隠棲したと伝わる庵で謡曲『三輪』の舞台。

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大和国三輪山の山陰に玄賓(げんぴん)という高僧が庵を結んで世を避け、ひたすら仏道の修行に明け暮れ、弘仁五年律師の位を授けられたが、「三輪川の清き流れに洗いてし衣の袖はさらにけがさじ」を示して、これを固く辞退する程であった。

この僧都のもとへ毎夜、少女が仏に供える樒と閼伽の水を携えて訪ねてくる様になった。偶々秋の夜寒に僧都の衣を一重賜りたいと申し入れた。僧都は衣を与え、少女に向かってあなたの住居はどこかと尋ねると、その少女は「わが庵は三輪の山本恋しくば訪らひ来ませ杉立てる門」の歌を詠んで消え去った。

僧都は不思議に思いながらも三輪明神の社頭へ来ると、大杉の枝に自分が与えた衣が掛かっているのを見付けた。近寄って見ると衣のつまに、金文字で「三つの輪は清く清きぞ唐衣来ると思ふな取ると思はじ」と書かれているので、なおも読み返していると三輪明神の声がし、やがて女神の姿で現れたまい、三輪の尊い神話を語り、天の岩戸の神遊びをまなんで神楽を奏し、伊勢と三輪の神は一体分身であることを申されるのである。

「思へば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と岩倉や、その関の戸の夜も明け、かく有り難き夢のつげ、覚むるや名残なるらん、覚むるや名残なるらん」

と舞い納める。

「大神神社」中山和敬著(学生社版)より

大神神社では大神祭の翌日に必ず毎年この『三輪』が奉納されている。

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玄賓庵を過ぎると程なく切り通しの狭い道をいく。次の三つ鳥居が珍しい桧原神社まで300m
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西を正面にして鳥居から先に二上山が見え,こえると大阪,その先の住吉大社(※)とは直線で結ばれている。
さらに海の向こうに淡路島。
その軸線の反対側,太陽の出る東の果てに伊勢神宮があり,ここが元伊勢とされる。

住吉大社(※)と二上山を結ぶ軸線にあったこの神社を延長して伊勢に移した。
それは倭の国土拡大によることでしょうか。

この古代軸線(太陽の道)は秋分の頃に二上山の馬の背に陽が沈むのを拝めます。

※桧原神社にいたボランティアの方の説明では住吉大社でしたが,太陽の道では堺の鳳神社になっています。

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桧原神社の辺りになると三輪山の全景が窺え,きれいなラインの姿です。

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神社の前にある池の周りは柿畑の向こうに最近話題の箸墓古墳(卑弥呼の墓?)や大和三山の眺望もよく万葉歌碑が点在する。

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反対側を振り返ると逆三輪山。


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by million-lion | 2010-10-14 21:23 | 6 パッサージュ


設計事務所の造形工房、千原利英のブログ


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20151206醍醐寺晩秋
at 2015-12-06 21:18
東大寺東塔院跡発掘調査
at 2015-11-29 21:34
大仏池
at 2015-11-24 21:20
彼岸花
at 2015-09-16 21:31
東大寺南大門の主
at 2015-09-13 20:33

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